自分が何処へ行きたくて、それには何が必要か。
改めて考える時間にしようと思います^_^
I want to walk with you.
自分が何処へ行きたくて、それには何が必要か。
改めて考える時間にしようと思います^_^
勉強が専門的になってきた。
でも原点は変わらないのかな。
「人に喜んでもらいたい。」
良くも悪くも、そこからズレると、違うものになっていくのを感じる。
人に喜んでもらうには、リサーチは必要だし、常に努力も必要。
だからと言って、自分の楽しいことから離れても違う。
バランス大事だな。
こんにちは。
zabesuです。
私の世代は学生時代、横並び、みんなと同じことをすることをとても強制されました。
良くできても「みんなと合わせて」と言われ、できなくても「なんでみんなと同じことができないの?」と言われました。
だから、私の目標は常に「普通に」なることでした。
でも、「今」という時代。
それでは生きていけません。
しかし、ずっと「普通に」という言葉を頭の中で唱えてきたので、どこへ行ったらいいのか。何を目標としたらいいのかわからず、迷子のような気持ちでいます。
ある方のお話しで、なぜ部屋が散らかるのかということについて、「物の住所を決めていないから」ということを知ったとありました。
そうか!
未来の住所を決めればいいんだ!
そう思いました。
帰る家を持てば、迷わず帰れます。
それと同じように、自分が楽しく安心して暮らしている未来を決めれば、それが住所になり、迷わず進むことができます。
コロナもあり、少し時間もあります。
自分の「未来の住所」、ゆっくり考える時間に当てるのもありかなっと思いました^_^
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^-^)
こんにちは。
zabesuです。
突然になりますが、私は信仰をしています。
仏教徒です。
毎日、経文を読誦し、題目を唱えています。
先日の新聞で、「一人も置き去りにしない」という、師匠の言葉が掲載されていました。
自分には何ができるのかを考え、祈りから見直すことにしました。
日々の自分の願いに加えて、まずは身近な人を祈りました。
しかし、地球の全人口には遠く及びません。
いや、しかしまてよ。
全人口?
そうか。「全て」という言葉だ!
っと気がつきました。
言葉でなら、全ての人、全ての生を包みこむことができるということに気が付きました。
また、亡くなられた方も救うことはできないかと思いました。
ある方が、「この世で亡くなられた方を思い出すとあの世でその人の頭上から花が降ってくる。」というツイートしていました。
本当だったらいいなという願いも込めて、身近で亡くなられた方の名前から祈りはじめました。
友人のお母様やお父様。
戦争で亡くなられた全ての方々。
震災や災害で亡くなられた方々。
また、人間に命をくださってくれている動植物たち。
生きているうちは、本当に幸せに。
亡くなる時も、苦しむことが一切ありませんように。
ペットだったリリィ。
そして、今までに亡くなられた全ての「生」のご冥福を祈らせていただくまでになりました。
どんなに崇高な祈りでも、形式になってしまっては、なんの意味もありません。
祈る姿勢は生きる姿勢にも繋がるんだなと日々猛省しながら、朝晩、手を合わさせていただいています。
自分ではどうすることもできないことばかりだけれど、少しでも良くなるように、世界が平和になるように、自分が出来ること、がんばりたいと思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^-^)
人が嫌がり、やりたがらないことで、自分が好きなこと。
それを磨けば何かになりそうな気がするな^_^